![]() 昔から飽きないリンキンと最近めっきりハマっているMUSE&ダフトパンク。 夏を機に自分の中でロック魂が開花しました。 んで、先日貪るように買ってきたモノ達↑↑ 後からハマる傾向が強いのでちょい古めのが多し。 一生好きな音楽を好きなだけ聞いて暮らせたらいいのに。 と思うときがあります。 というか音楽聞いてる時はいつもそんな気分です。 耳が聞こえなくなったら私どうするんだろうな。 耳の為に普段は極力イヤホンでは聴きません。 更にデータをコピーする際にどうしても音質が落ちるのでCD以外では聴きません。 ipodも持ってないです。 旅行の時なんかは確かに便利だろうなと思うけれど。 それでもやっぱり元のCDで再生可能なウォークマン愛用。 これだけは何があっても譲れないこだわり。 音楽って不思議だなぁと思います。 ド〜シ+半音の計たった12音による無限の順列組合せでこんなにも様々な曲が出来上がり、それによって稀代の名曲が誕生したり、はたまたどうしようもない駄作にもなり得る。 使う素材は同じなのにこの違い。 これってある意味、「技術は全て使う人間に委ねられる」という現代の文明社会にも共通することなんじゃないかと思う。 音楽はその時々の自分の記憶と共に存在していると言えるのではないだろうか。 懐かしい曲を聴いて懐かしいと感じるのは、単にその曲を聴くタイミングが物理的に久しぶりだからだというのではなくて、何よりそれを繰り返し聞いていた当時の思い出や記憶が一緒に蘇るからだと思う。 映画の主題歌なら映画に対するインプレッションそのものが、またCMソングなどであればその商品のイメージが定着しているように。 芸術は常に互いに何かと依存しあっている。 歴史と共に失われていくものは多いけれど、音楽だけは変わらずに 人と共に生き続けている理由はそれなのだろうな。
サマソニで出会いました。その日の一発目にオープンエアで見たのが彼ら。 魂を直接揺さぶられるような細美さんの声に鳥肌が沸き立ちます。 ボーカルだけでなく、ギターもベースもドラムも全て彼らの音楽に対する真撃なパワーに溢れていて、思わずふと意識を手放したくなるような快感にどこからともなく力が湧いてくる。 なんだけど、多少スピードや勢いで押してる感じも拭えません。 昔と今ではファンが分かれちゃってるのかもしれないなという気がします。 私はアップテンポでノリのよい曲好きなのでどちらも気に入ってますが。 次のアルバムにも期待してます。
長い仮眠(夏眠?)から目覚めました。
と言いつつ実はミクシィにのめり込んでいただけです。 まずい。あれは本当中毒起こす……いつか社会問題になるんじゃないの? って既に何度か報道されてますが。 復活記念に模様替えしてみました。 テンプレ変更した直後って、自分のブログを開いても他の人の所へ来てるみたいでそれがちょっと楽しい。 ところで私は昔から本屋へ行った際、棚からはみ出ている本や平積みがずれているのを見るといちいち直したくなってしまいます。 背表紙が一冊ぴょんと出ていようものなら即座に押したくなる。 違う作者の本が紛れていると元の場所へ戻したくなる。 気づいたら一生懸命本をトントンと揃えたりまでしている。 時間ないのになあ……というかそもそも書店員じゃないしっと思いつつもやらないと気が済まない私は一度本屋で働いた方がいいのだろうか。
読んだ! ものすごく面白かったです。とにかく面白かった。 正直、この手のノベライゼーションでここまでクオリティの高い作品は初なんじゃないかと思います。 残りのページ数が少なくなるにつれて、「これもデスノートみたいにいくらページを捲っても永遠になくならない本ならいいのに」と思うほど、ずっと読んでいたい面白さでした。 そして、絶対にネタバレは知らない方がいいです。 というか、知ってはいけない。 「ネタバレを知る=この本の価値がなくなる」 と言ってもいいほどにこの小説でネタバレは厳禁です。 なので未読の方は今すぐネットを閉じて小説を読みましょう。 何、まだ手に入れていない? 今すぐ本屋へ走れ!!! コンビニへ突っ込め!!! どんな手段を使ってでも押さえるんだ!!! さて、そろそろネタバレ回避文はこの辺で終わりにして、本題に行きたいと思います。 ええと、この後容赦なく内容の核心について触れますので読んでない方は本当に見ないで下さいお願いだから。 って、本当に楽しみにしてる人ならこんなページ初めから見てないですよね(笑) それでは、アナザーノートはもう既に文字(骨)の髄まで読み尽くした! ネタバレバッチコイ!! という方は続きをどうぞ。
あまりの世界観の美しさにこの身がうち震える思いでした。 これこそ、絶対に映像化してはいけない作品だと思う。 しかし、もし想像を絵に描いたなら、それは息を呑むほど綺麗であるに違いありません。 ジョバンニが「どこまでもどこまでも一緒に行こう」と言っていたように、私達も自分の中でどこまでもどこまでも銀河鉄道の旅の想像を広げていく事ができます。 一般に販売されている文庫はほとんどが短編集で、実際の『銀河鉄道の夜』のお話自体はその中の僅か数十ページにあたります。 おそらくこれは、一回読んだだけではイメージを掴むのが難しいのではないかと思います。 ほとんどが風景描写な上に、句点の少ない独特な形態で綴られている為、現代のファンタジー小説やライトノベルなどに慣れている人にとってはなかなか文章がすっと馴染まないかも知れません。 しかし、「よくわからない」と言って途中で諦めてしまうのは非常にもったいないです。 2回3回と繰り返して読むうちに、話の奥へ奥へとどんどん進んで行くことができるでしょう。 どうしても無理だという人は、まず↓ここを訪れてみるといいです。 ■KAGAYA GALLERY 〜銀河鉄道の夜〜 本編で描かれている世界がどれだけ美しいものかがわかると思います。 でも、なるべく固定概念にとらわれて読んで欲しくないのでできる限り自分の頭で想像して見て下さい (それにしてもこのパズル欲しいな) この『銀河鉄道の夜』は、賢治の最愛の妹トシの死への悲しみから書かれた作品であると言われています。 作中のカムパネルラはトシを、ジョバンニは賢治自身に重ねて読む事ができる。 ジョバンニがカムパネルラに時折嫉妬心をも抱くほど執着しているのはその為です。 「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」 「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。 「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。 「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。 (宮沢賢治 『新編 銀河鉄道の夜』新潮文庫) ほんとうの幸い、そしてそれを求める上での自己犠牲。 人々が抱く神とはどんな姿なのか? 死んだ人間は一体どこへ行くのだろう。 哲学者の心髄とも言える問い掛けと、これほどまでに壮大な世界をほんの短い小説の中で表現した賢治は、やはり日本文学を象徴する作家の一人であると思います。 銀河鉄道とは、言うなれば死者が旅する列車です。 その列車になぜジョバンニが乗っていたのか。 もしかしたらそれは、一人この世に残された賢治の「愛する者と一緒にいきたい」という願いだったのかもしれません。 |
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プロフィール
Author:Lana
「自分に正直に生きよう」といういかにも美しいモットーを掲げながら、実態は常に欲望と本能に身を任せている妄想人。
音楽とマンガと時に映画と本をこよなく愛しています。
これらの話題に乗れる人はカモン!(笑)
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